イラン旅行記7日目 | moskomule log

イラン旅行記7日目

Shiraz

例のCafe Royalの店員の友人が車を出してくれて,Shiraz郊外のPersepolisを訪れた.

Persepolis

Palmyra,Persepolis,Petraは中東の古代遺跡として名高いけれども,うちPalmyraは破壊されてしまったと伝えられる.イランにはAchaemedes朝の宗教都市であったPersepolisがあるのだけれども,これも破壊されてしまっている.紀元前にAlaxandrosが東征を行った際に.

当然イラン有数の観光地なので観光客で満ち溢れている.Persepolisはギリシャ語のΠερσε-πολις,ペルシャ人のpolisという意味なので,現地ではtakht-e jamshid(jamshid王の玉座)と呼ばれている.ただ地元の最大の観光地なので,Persepolisで通じる.

遮蔽物がなく,暑いので水を忘れてはいけない,とのことだったので2Lほど持って行った.4月とはいえ陽射しも強く,数時間いると体力が吸い取られていく.

入り口にはXerxesの門と呼ばれる門があって,諸王の王たるXerxesが「ahuramazudaの恩恵によってこの諸国の門を建てた」旨が側面に刻まれているらしい.そのために諸国の門1とも呼ばれている.この遺跡が重要なのは,ほかの碑文に「唯一の神であるahuramazuda」という記述が見られることで,一神教の最初の記録であることなのだ,とPは教えてくれた.

Xerxesの門.

このようにsphinxの顔は失われているが,これは射撃の標的となったためではない.

Xerxesの門のsphinx.

Persepolisは完成する前に滅びてしまって,壊されてしまった像も多いのだが,逆に未完成の,削りかけの石なども見られる.完成されたものが遺っているより,人間が遺跡を残した生々しさが感じられる.

未完成の馬

Griffinはイランの象徴として,イラン航空の印に使われている.

Griffin

革命前のPahlavi朝は偉大なペルシャの源泉としてPersepolisを取り上げ,ペルシャ建国2500年祭をPersepolisで開くほどだったのだが,その時の過剰に再整備した跡を見ることができる2.皮肉なことに,世界遺産には革命の起きた1979年に登録されている.

椅子が並んでいる.解説は無いのだが,2500年祭前後に建てられたのだろう.これを遺跡の中に建てる神経が凄い.

謎の構造物がある.

警備小屋も見える.

百柱の宮殿付近の門.これに限らず,2000年以上も野晒しになっていても細かい凹凸が残っているだけで感動してしまう.付近には宝物庫があってAlexandrosが略奪を行って全ての富を持ち去ったのだが,それでも発掘するといろいろと出てくるらしい.

百柱の宮殿付近の門

帝政を支える人々

小高い丘の上にArtaxerxes2世とArtaxerxes3世の墓廟もある.敷地内とはいえ,少々離れている.墓廟には近づけないのだが,中がどのようになっているのかが気になる.Zoroaster教の様式で,中央上部にはFaravaharが見られる.

Artaxerxes2世の墓廟

修学旅行生も大勢来ていて,みんなが“Hello”と話しかけてくるのでいちいち返事をしていた.

修学旅行生たち

Apadana階段.ここだけは屋根で覆われている.階段の壁に刻まれた国民達が捧げ物を持って都に向かっている図,だと思われるのだが民族の特色を表していて面白い.往時は彩色されていたのかもしれない.

Apadana階段

Apadana階段

駱駝をつれた民

帽子を被った民

各民族の先頭の者はこのように手を繋いでいる.もしかしてsatrapかもしれない.

レバノン杉か

たまに後を向いている者もいる

彫刻はかなり細かい.人をひとり刻み込むだけでも結構な時間がかかりそう.

楔形文字もきっちり残っている.

楔形文字

Apadana宮殿.1704年の絵では列柱が幾つか残っているようだが,今立っている柱も当時のまま,2000年以上も立ち続けているのだろうか.

Sketch of Persepolis from 1704 by Cornelis de Bruijn.

列柱が残っている.

Tachara.要は宮殿跡らしい.Alexandrosの兵火(または混乱時の失火とも)によってPersepolis内の建物の多くは破壊されたが,ここは比較的よく残っている.

Tachara

その他.運転手との集合時間が近かったためゆっくりは見られなかった.

Faravaharがかすかに見える.

楔形文字

Pahlavi朝以降手が加えられてしまっている感じもあったが,それでも悠久の時を経た大遺跡は佇んでいるだけで思いを馳せることができる.破壊したAlexandrosは地獄の底で反省していて欲しいが,Gizaの大PyramidやRomaのColiseumのように採石場として使われなかっただけ幾分ましかもしれない.

Naqsh-e Rostam

Persepolis付近にある墓廟群で,Darius1,2世,Xerxes1世,Artaxerxes1世のものだと考えられている.廟の中には入れるわけでもなく,入場料を払うのも,ということでPと敷地外部から眺めた.

Naqsh-e Rostam

Naqsh-e RostamはRostam王の浮彫,という意味で先のPersepolisのペルシャ名にあるjamshidと同じく,rostamは伝説の王の名前である.

Arg-e Karim Khan

Persepolisから帰ると,Pはペルシャ湾3を見に旅立っていったので,残されたRとともにShirazの観光に.市の中心部に位置するArg-e Karim Khanは外からは城塞のようなのだが,内部は大きい邸宅という感じである.かつては地方領主Karim Khanの宮廷があったようである.

Arg-e Karim Khan内の庭園

Arg-e Karim Khanの壁の絵

長年朽ちるままに放置されていたのを,数年前に改修し始めたらしい.各所にBefore Afterの写真が貼られていて,なぜ市の中心部にあるのに手を付けていなかったのか,疑問に残った.

装飾が美しい.

壁の文様

外壁は要塞

Hafez廟

Shirazは世界的にはPersepolisが有名であるが,国内では詩聖Hafezの地,として有名なようで,他の都市のタクシードライバーにHafezの話をしたところ,Shirazと返って来るほどである.

イラン人は詩を愛する民なのだが,特にHafezは別格の国民的詩人である.各家庭には最低2冊の本があって,一方はQuran,他方はHafez全集,と言われるほどであるし,Quranよりも上位に置かれているようにも感じられる話しぶりであった.もちろんこれは信仰心によるのだが,特に若い世代は形だけ信仰している者も少なくないよう.イラン人にとってIslamは外来の,侵略者の宗教なのでやや距離感があるのがKhayyamに見られる伝統的なあり方なのかもしれない.

彼らは人生において困ったことがあった際にはHafezに頼るのだと言う.すなわち,迷いがあれば適当なページを開く,そしてそこに答えがある,分からないのは理解が浅い所以なので前後数ページを読む.立ち所に悩みは解決する,とのことである.売店には豪華本が並んでいて,欲しかったのだが現金がないために諦めざるを得なかった.

兎も角,そのような詩人の霊廟なので大勢のイラン人が訪れていて混雑している.特に何をするわけでもないのだが,集まって話していた.いまは天蓋の下に棺があるのだが,かつてはshrineのような格子状の柵で囲まれていたようで,祈りの場としても使われていたのかもしれない.

Hafez廟の入り口付近

Hafezの棺のまわり

Rに,ドイツにはHafezのような詩人はいるのか,と尋ねてみたところ,最近の若者はSchillerもGoetheも読まず,文化を失って心が貧しい,という話しをされた.古事記や万葉集が蔑ろにされ,社会が軋んでいる,と返した.


  1. Gates of All Nations [return]
  2. ただ現在でもPersepolis内の土産物店周辺では過剰な音楽とともにペルシャの偉大さを誇示する音声が流れていて喧しい. [return]
  3. ペルシャ湾も日本海同様,「ペルシャ湾ではなくアラビア湾」という問題を抱えているらしく人類は救われない. [return]
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