イラン旅行記2日目 | moskomule log

イラン旅行記2日目

Kashan市内

建物は土作りで,地下1階に中庭がつくられている.私が泊まったドミトリは地下1.5階にあったのだが,明け方は結構冷え込んで寒くて目が覚めた.仕方が無いのでそのまま散策に.早朝からパン屋は開いていて,そこそこお客が来るようである.パンは袋に入れたりはせず,そのまま運ぶ.

朝のKashan.

パン屋は朝早くから開いており,お客がパンを裸の状態で持ち帰る

朝食はパンにヤギのチーズ,豆のスープなど.どれも品質がよいものなのだろう,美味しい1

朝食の豆のスープ

朝食後,同室だったドイツ人と仲良くなって,しばらく一緒に回ることになった.彼は英国の大学教員でintelligentsiaなので「王書2」の分厚い英訳を抱えていて,色々教えてくれた.

Masjed-e Agha Borzog

とりあえず目についていたモスク,Masjed-e Agha Borzogを訪れる.左右対称であることで有名らしく,神学校が併設されているらしい.残念ながら彩色は落ちてしまっている箇所が多かったが,メッカの方向を向いているのであろう礼拝所はまだ彩色が残っている.建物には落書きが多いが,これは神学校の学生によるものなのだろうか.

Masjed-e Agha Borzog.

Masjed-e Agha Borzog.中庭がつくられている.

Masjed-e Agha Borzog.礼拝所の装飾.

イランではバレーボールが人気なのか,どこの学校にもネットがかかっていたが,神学校にもコートが併設されている.手摺も何も無くいきなり1階分の段差があるので,ちょっと怖い.

神学校のバレーボールコート.

Bazaar

おそらく,どこの街にもBazaarのだが,Kashanも例外では無くBazaarがあって人が集まっている.日本の商店街と違って非常に活気がある.歩いていると老店主に“aks, aks”と話しかけられる.“ax?”などと訊き返して互いに不思議そうな顔をしていたところ,息子が出てきて“photo!”と教えてくれて,親子で集合写真.お陰で,その後は写真を撮りたいときには“aks ok?”などと尋ねることが出来るようになった.

洋服屋の老店主と息子たち.謎のポーズをきめるのがイラン流?

この調子で,カメラを首から提げた東洋人を見かける度にイラン人店主たちは写真を撮るよう求めてくる.ペルシャ人の余裕なのか,決してしつこく買うことを求めてこないのが過ごしやすい.

おもちゃ屋店主.イランは子どもが多いのでこのようなおもちゃ屋が偏在している.

Bazaarの風景.

Bazaarにはたまに屋根付きの広場があって,天井が美しい.大概カーペット商がその下にカーペットを並べている.

Bazaarの広場の天井.

屋外で絨毯を修理するおじさん.

昼食はレバーのケバブを食べた.

レストラン.室内に噴水があって小鳥が啼いていてゆったりと時間が流れる.

食前に茶とお菓子が饗された.ちゃんとしたところで飲むと,このように茶にはハッカのような風味の砂糖とsaffron入りの砂糖がついてきて,茶に大量に投入して飲む.私は甘い茶があまり好きでは無かったので2杯目以降はrose waterを入れるだけにとどめた.このrose waterはKashanが一大生産地で,薔薇の香りのする水なのだが,石けんの匂い,と言われるとそんな感じもする.

茶と菓子.上から反時計回りに,ハッカのような砂糖,saffronの砂糖,棗椰子,rose water,粉末シナモン.

SIMカード購入

空港で購入するのが得策だったのだが,すっかり買いそびれておりBazaar付近のIran CellのショップでSIMカードを購入した.手続き自体はパスポートのコピーと,なんと拇印の登録によって15分程度で終了した.開通まで8時間ほどかかる,とのこと.データ通信と通話が可能.

その他

Kashanに限らないのだけれど,結構建物が壊れたまま放置されているのが気になった.

古代遺跡,ではなくて建物が壊れたまま放置されている.

Esfahanへ

昨日,タクシードライバーのMehdiにFin Gardenなどに寄りつつイスファハーンに送ってくれないか,と頼んでいたのだが,ドイツ人が急遽同乗することになって半額になる(25$).

Fin Garden

世界遺産にも登録されているFin Gardenは,Safavi朝の全盛期を築いたAbbas 1世によってつくられた,Kashan郊外のペルシャ庭園である.Abbas 1世はイランでは大人気で,男子の名前としてもよく聞いたし,何より彼の肖像はティーポットなどに描かれている.

近くの山の湧き水を引いているようで,常に涼しげ(4月中旬とはいえ,気温は30度近い).まわりは大概イラン人で,庭園の木陰にシートを敷いてピクニックをしている人もいた.「どこから来たの?ピスタチオ食べる?」と言ってピスタチオを呉れるお兄さんもいた.

Fin Garden.イラン人にも人気のスポット.

子どもは水が好きなのは万国共通のようだ.

イランの遺跡はいいところに売店があるのが残念.

建物よりは庭園が中心のようだけれど,建物の装飾もペルシャ,という感じがあり良い.こういうのを求めていたのだ.

天井の細密画

細密画.装飾が剝げてしまっている箇所もあったけれど満足.

Abyaneh

孤立した村,Abyanehへ向かう.車窓から見えるKarkasの山々が面白くて見入ってしまう.

途中,件の核開発施設3が見える.「あれがatomicね」.Lonely Planetには「写真撮影厳禁」とあったが,タクシードライバーは「撮っちゃいけない道理は無いでしょ」と言っていた(が念のため撮らなかった).

右手に見えますのが核〜.山が面白い.

Abyanehは山の中に孤立していて,今でも老人たちは古いペルシャ方言を話す.ペルシャ語の分からない私にも分かるほどペルシャ語とは違う言語を話しているように感じられる.“salam”,“mersi”(hello/thanks)が通じているのかも怪しい.

タクシードライバーには,もともとCappadociaのような場所なのだ,と教えて貰った.

若い人は出稼ぎに行っているのか,観光客のほかは,老人と子ども(と写真の移民)しか見かけない.移民たちはウクライナから来た,と記憶している.

民族衣装に身を包んだ移民たち.

おじいさん

家々は赤い土壁で出来ているが,内部には木も使われている.天井には保温目的なのか,アルミシートが貼られている.

家々

桜のような花

向かいの山々.こちらから写真を撮ると綺麗かもしれない.

Natanz

山々と砂漠を眺めながらNatanzへ.

山々

NatanzのMasjed-e Jamehはイラン最古のモスクで,ちょうど居合わせたガイドが「2世紀に建造され」と話していたので,ヒジュラ暦2世紀くらいには建てられたのだろう.後にSufiたちが建物を増築していて,そちらも美しい.

イラン最古のモスクの部分.塗装や装飾も剝げているが往時が偲ばれる.

増改築を繰り返しているらしい.

Sufiの建築した部分.例によって装飾は剝げているものの,不変の美しさである.

Esfahanに到る

Natanzを出てしばらくするとEsfahanに到着した.Kashan,Natanzから来ると流石に大きい都市で驚く.

Esfahan(اصفهان‎)はIsfahanとも書かれるのだが,短母音表記を見る限りEsfahanとしか発音しなさそうなので,今回はEsfahanと表記することとする.現地でも表記揺れが見られた.

兎も角,これで世界の半分を見ることが出来る.


  1. ホテルで出る朝食に関してはここのものが一番よかった.田舎なので物価が安いのかもしれない. [return]
  2. Shahnameh.アラブに屈服するペルシャ人を鼓舞する英雄叙事詩で,今でもイラン人は大好きらしい.日本語では岩波文庫と東洋文庫で抄訳が出ているのみで完訳は無い模様. [return]
  3. 我々西側の人間はイランがイスラエルを核攻撃するために開発している,と思っているが,少なくとも公式には(ポスト石油時代の)エネルギーのために開発しているに過ぎない. [return]
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